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誰も動けない、緊迫した空気の中、猛だけが気にした風もなく工場内を悠々と歩く。

トワは目の前に現れた大物に目を見開いた。

「氷堂――。何故ここに」

広域指定暴力団葉桜会、氷堂組会長、氷堂 猛。

瞬時に頭を巡った情報にトワは呆然と呟いた。

「何だその格好は」

一歩一歩近付く事で詳細になった俺の姿に、猛は咎めるようなキツい眼差しと声音で言う。

だが、俺には気にしている余裕もなかった。正直、今だって気力で立っているようなもの。

「――帰れ。俺は別に逃げ出したわけじゃない。これが終わったらちゃんと帰るさ」

どこに?
帰る場所なんて無いくせに。

自分でも気付かぬうちに唇がうっすらと酷薄な笑みを浮かべる。

「帰るさ…」

あるべき場所へ。

そして、

俺は猛の見ている前で躊躇い無く引き金を―――引いた。

「ぎゃぁっ!!!」

銃声と硝煙、耳障りな悲鳴が倉庫内に響く。

ボロボロだった俺の身体は銃を撃った反動にすら耐えられず、ぐらりと傾いた。

その視界の隅で、モノクロだった色彩の中に赤い色を見つけ、ゆっくりと瞼を閉じる。

「ふっ…くっ、…は…」

その色があの日と重なる。赤い、赤い、命の色。

あまりにも呆気ない幕引きに、俺は自分が泣いているのか笑っているのかもう分からなかった。

「っく…はっ…ふっ、ぅ…」

手から滑り落ちた銃がコンクリに当たって音を立てる。

もう、何も分からない。これからどうすればいい?

やっぱり俺はお前がいないと駄目なんだ。

「しろー…」

ふわりと、遠退く意識の中で失った筈の温もりを感じた気がした。








Side 猛


崩れ落ちた拓磨を腕の中に抱き、落とした視線の先にある顔に俺はぐっと眉を寄せた。

何もかもその内に呑み込み、諦めた様な表情で頷いてきた拓磨。

それが今は俺の腕の中で、血の気が引いた、けれどどこか穏やかな顔で瞼を落としている。

「気に入らねぇな…」

俺以外の人間を。

「許さねぇぞ拓磨」

初めて拓磨が見せた心の内は決して綺麗な物じゃない。けれど、生々しいその感情が今まで見てきた中で拓磨を一番人間らしくしていた。だが、たしかに衝撃的な姿ではあったが、…俺の頭はすぐに冷めていった。

変わりに不快感が沸き上がり、苛立ちが募る。

相手を殺したいほど憎むという事は、逆にそうするだけの想いを向けていた人間がいたということだ。

話を察するにソイツが志郎とかいう奴か。

俺は拓磨を抱く腕に力を込めた。

「唐澤。三輪に連絡しておけ」

拓磨がこの手に戻った以上、長居は無用だ。

ボロボロの拓磨を抱き上げ、俺は周りに構わず足を倉庫の外へと向ける。

「会長、コイツはどうします?」

その背へ、族の集団から進み出た日向が声をかけた。

「好きにしろ、…と言いてぇところだがソイツには用がある。連れて来い」

拓磨に拳銃で左腕を撃たれ、痛みに蹲るマキ。弾は僅かに心臓を反れて腕に着弾していた。

運の良い奴。もっともそれも今限りの話だ。

了解、と頷いた日向は蹲るマキを連行する為に腕を掴み無理矢理立たせる。

「ひっ、っ…何だよ…お前ら!」

マキは青ざめた顔で日向を見つめた。だが、普段煩いぐらい喋る日向は何も答えない。

何故なら答える必要が無いからだ。それがマキの恐怖を更に煽る。

「待てよ、氷堂。拓磨を何処へ連れて行くつもりだ」

その時、俺の目の前に険しい顔して進路を遮った男がいた。

目の前に立ち塞がった男、トワは睨み付けるように言った。

「拓磨をどうするつもりだ」

「退け。…コイツをこのままにして殺す気か?」

腕の中で弱々しく呼吸を繰り返す拓磨をさして言えばトワは僅かに怯む。

「分かったなら退け」

言外に邪魔だと告げ、俺はソイツの横を通り過ぎた。

「待て!なら、俺も連れてけ。アンタと拓磨がどういう関係か知らねぇが俺は志郎から拓磨を任されてんだ。はいそうですかって見過ごせるわけねぇだろ」

背に掛かったトワの声を無視して足を進める。

「俺もだ」

その声に続いて族の奴等の方から拓磨の友人と思われる奴が進み出て来た。

「…フン、好きにしろ」

俺は適当に返事を返し、唐澤に視線を投げる。

「三輪と連絡とれました。準備して待っているそうです」

「急ぐぞ」

拓磨が消えてから半日。どれほどの時間、どれぐらいの暴力を受けたのか分からないが、目に見える範囲だけでも幾つか確認できた。

足早に工場を抜け、車の後部座席に乗り込む。

助手席には唐澤が座り、運転手は車を発進させた。

走り出した車のバックミラーには日向の運転する車とバイクが二台写っていた。



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